真のドイツ
お祭りと地方の伝統

有名な「テューリング地方の焼きソーセージ(Thüringer Bratwurst)」の最古の記録は1404年に遡ります。テューリング州の州都、エアフルトが焼きソーセージを祝う絶好の機会として祭りを利用するのは当然です。毎年3月、新しい夏の季節を迎えるバーベキュー祭、「テューリンゲン地方の焼きソーセージ祭(Thüringer Bratwurstfest)」では、エアフルトの大聖堂広場が(おそらく)ドイツ最大のバーベキュー場に生まれ変わります。真っ赤に燃える20ヶ所のバーベキュー網の前で、テューリンゲンのソーセージ製造者たちが腕を競い合いながら、技を披露します。最良のレシピに関する専門家の話や討論に併せ、楽しみが味わえるイベントも盛りだくさんです。野生あふれるソーセージ・ロデオでは、揺れ動くソーセージの上で出来る限り長い時間乗り続けるために踏ん張り続けます。周りの人たちはゆったりと眺めているので、そのコントラストに思わず微笑んでしまいます。焼くのに時間はかかりますが、でも一番大事なことは、焼き上がったソーセージがいかに美味しいかですからね。

ミュンスターのゼント祭(Send)、アウグスブルクのドゥルト祭(Dult)とプレーラー祭(Plärrer)など、歴史的にもっと古い祭りもあります。祭りの名称、“Send“ とは、ドイツ語の“Synode”(シノドス)から派生した語彙です。シノドスとは、ミュンスターで9世紀から毎年2回開かれていた、司教管区の代表と聖職者との集会です。これを機会に、11世紀以降、毎週開かれていた一般市民の市とは異なる、販売に制限を設けたり、現地の商人や職人たちを優遇する特別な市が催されるようになります。1578年から、祭りで不法な行いをした者は罰せられるという警告を意味するゼントの剣(Sendschwert)がミュンスターの市庁舎に掲げられます。ゼント祭は毎年3回、ミュンスター城(Schloss Münster)の前の広場で開催されます。
アウグスブルクの祭りの歴史は967年まで遡ります。オスタードゥルト(Osterdult)と呼ばれていたドゥルト祭は、元々は布の市場でしたが、数百年を経て徐々にあらゆる品物を販売する市場に発展していきます。ドゥルト祭(Dult)と並ぶプレーラー祭(Plärrer)は、人々の泣き叫びを意味する「Geplärre」から派生した名称が付けられた祭りです。アウグスブルク生まれの作家、ベルトルト・ブレヒトは、「Plärrerlied(プレーラーの歌)」という詩の中で、千年の歴史を持つイベントに敬意を表しています。
5月祭で柱を立てる伝統は古代ローマ時代まで遡り、すでに古代ゲルマン民族の慣習でした。オズナブリュックでは、この儀式は毎年、5月週間(Maiwoche)祭の一環として祝祭されます。この期間は、旧市街はお祭り一色となり、あらゆる食あり音楽ありで、町全体がパーティー会場のような雰囲気に包まれます。クリスマスマーケットをよくご存知の方なら、夏季のクリスマス祭りと思われるかも知れません。
ハンザ都市、ロストックは、沿海地方として、帆船や航海の伝統を保ち、特に有名な場所は沿岸リゾート、ヴァルネミュンデ(Warnemünde)です。ヴァルネミュンデ・ウィーク(Warnemünder Woche)は、サマーシーズンの開幕を告げる伝統的な春祭りです。7月の第一土曜日には、ニエゲ・ユムガング(Niege Ümgang)と呼ばれるイベントが催されます。ブラスバンド、郷土衣装をまとったグループ、ネプトゥーンと仲間たち、パイロットと漁民、粉挽き職人とパン職人、精肉職人、商人、そして宿屋の主人などが一同に介し、伝統的なパレードで町を廻ります。太鼓の響き、呼び込みの叫び、仮設小屋からの歌声などに並び、もうひとつのハイライトは伝統的なヴァルネミュンデ結婚式とブラウトヴァッシェン(花嫁洗いの意)です。イベントは「ハンザ醸造都市ロストック」によるビール樽の穴開けで幕を閉じます。

「ハイデルベルクの秋」は毎年9月に催される旧市街のストリート・フェスティバルです。メインストリートでは工芸品の大きな市が並び、大学広場(Universitätsplatz)では中世のプファルツ選帝侯マーケット(Churpfälzer Market)が盛大に催されます。旧市街の広場で演奏される多種多様な音楽だけではなく、多彩なスペシャリティーも食いしん坊たちの大きな魅力です。
