シュトルツェンフェルス城 郊外へ南に10キロほど行くと、同名の町を見おろす崖上にある。1250年にライン川の通行税をとりたてる城として建設。破壊を受けたが、プロイセン王の命により1836年から6年かけてネオ・ゴシック様式で再建された。豪華な家具、武器や甲冑のコレクションがある。
ドイツの角 モーゼル川とライン川が合流する地点。ドイチェス・エックとよばれて、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の巨大な騎馬像がある。ここからライン川対岸の要塞やモーゼル川にそったコブレンツの市街などの眺が楽しめる。騎馬像は第二次世界大戦で一度アメリカ軍によって破壊され、1993年に再び置かれたもの。1953年から1990年の37年間は台座のみで、台座にはドイツ国旗が「再統一の願いのシンボル」としてはためいていた。 この場所の近くには、中世のドイツで重要な役割をはたしたドイツ騎士団* の本部があった。「ドイツ騎士団の家」が残っている。* 歴史コラム参照
宮殿 ドイチェス・エック(ドイツの角)からほど遠くないところにある。トリア大司教の宮殿。18世紀末につくられたが、現在の宮殿は再建されたもの。ライン川に面した庭園の壁の上に、「父なるラインと母なるモーゼル」の像がある。
エーレンブライトシュタイン要塞 ライン右岸の崖上の台地には、11世紀の小城があった。歴代のトリアの大司教は、この小城を数世紀かけて要塞に改造。この要塞はフランス大革命の時代、フランス軍によって破壊されたが、ナポレオンが没落すると新しい支配者となったプロイセンが改修に着手。15年かけて大要塞となした。しかし戦いにはまったく使用されず、今なお当時の威容をとどめている。要塞からは、ライン川、モーゼル川、コブレンツ市街、遠くのアイフェル山系までが一目で見わたせる。 ライン右岸にはベートーベンの母親の生家やベートーベンの記念碑がある。ローレライ伝説をバラード(物語詩)の「バッハラッハの乙女」で美しく歌いあげた詩人クレメンス・ブレンターノは、コブレンツで生まれ育った。詩人を教育した祖母ソフィ・ラ・ロッシュも詩人だった。